用事があり、義理の母に電話を掛ける。
そう!今どきはスマホ(携帯)へ。
当たり前のようにスマホへ。携帯という呼び名から「スマホ」へ。
でも出ない。
何度電話しても「お呼びしましたがお出になりません」。
仕方がないので家電にかけると…「もしもし?」
なぜ電話にでないの?って聞いたら…
お家の中でなんかいちいち持ち歩いていない、リビングのテーブルの上に置いたまま違う部屋で用事していたと。
母世代はやはり、家電が主流。
わたしの実母も携帯(※まだ「スマホ」とは呼んでませんでした)を持つのを嫌っていました。理由を聞けば「持つことによって縛られている、いつも監視されてる感じがする」らしいです。「鳴ったらでないといけない、いつでも捕まる」感覚がするらしいです。鳴っても嫌ならでなきゃいいのに…って思うけどそれは思いつかないのかも?
父が倒れ入院した際、病院からの連絡はわたしに入るようにお願いしていたのですが、わたしもお勤めしていたのででられないことがあるかも…、
もし緊急の場合、家電主義の(外出している場合、もうお手上げ、連絡取れないっス)
母と何とか連絡を取る手段として、父の携帯を母に持たせたことがあって、
試しに電話したところ…案の定、何度電話しても繋がらず。
実際、病院から緊急でわたしに連絡が入ったことがあって、
看護師さん曰く「お聞きしていたお母様の携帯(持たせていた父の携帯)に電話しましたがおでにならず…」
母に聞いてみると、持ち運び(携帯する)はしていたものの電源を切っていたと。
もはや「携帯を携帯していない」
いや、「携帯を携帯していたけど電源を切る」という暴挙に。
その日からわたしの思考を改めました。もう仕方ないなと。
先日わたしの母世代の方とお話する機会があり、
「スマホを携帯する」話が出たんです。
義母と同じ反応でした。
お家の中では持ち歩かない派がやはり根強くいるそうです。
スマホに電話が入っていた → 気づかず → 何度か掛かっていた → 気づかず → 気づいたら掛け直すけど気づかない場合、相手が本当に大切な用ならまた掛かって来るか家電に電話がある、だろう。
こういう思考みたいです。
恐れ入った!
義母だけかと思いきや、母世代の世間の声を聞けて妙に腑に落ちたというか
新鮮でした。
若かりし頃は絶対、気持ちは今も若い(←コレお約束)
世間の、時代の波に乗る! 乗り遅れない!! 付いていくぞ!!!
って固く強く思っていましたが今やそれも怪しい。
怪しいというか危ない。
そんなもんなんかな?と諦めの境地に行くにはまだ早い。
もうちょっと焦ってジタバタしたいと~思います。